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京都地方裁判所 昭和49年(わ)491号 判決 1979年8月24日

主文

被告人を懲役七年に処する。

未決勾留日数中一八〇〇日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、本籍地の尋常高等小学校を卒業後、自動車修理工、飛行機整備工などや、家業の運送業に従事するなどして働いていたが、昭和三四年ころから暴力団組織に所属し、昭和四二年ころから本件犯行直前までは山口組系一会の幹部的地位に就いていた者であるが、この間、被告人は、昭和二一年六月に窃盗罪により懲役一年六月の実刑に処せられたのを始めとして、再三罪を犯して受刑服役を繰り返す一方、二度の離婚を経て、昭和三七年一月乙山花子と結婚し、昭和四一年六月には娘松子をもうけるに至ったものの、昭和四三年二月には監禁致傷罪により再び受刑服役するところとなったため、まもなく右花子とも協議離婚してしまったが、後記前科の罪により受刑服役し出所後の昭和四八年三月末ころ、人に強く勧められたこともあって、花子と復縁し、京都府○○郡○○町大字○○小字○○××番地所在の○○○荘二階ト号室に親子三人で世帯を構えたうえ、義兄の援助を得て不動産業などを営んでいたものである。

ところで、被告人は、妻花子と再び一緒に生活するようになって暫くの間は、一応順調な日々を送っていたが、元来女性関係に放縦なため、昭和四八年五月ころから同女に隠れて以前交際のあった丙川春子と再び付合うようになり、同年一一月ころには肉体関係を持つまでに至ったが、そのころこのことが花子にも知れるところとなったほか、同女自身にも被告人が生活費として手渡す金銭の使途先について不明朗な点があったため、しばしば同女との間にいさかいを生じ、次第にその夫婦生活にも破綻を来たすようになった。そのため、被告人は、翌昭和四九年二月中ころには、大阪府○○○市内の丙川春子方において同女と同棲し、前記○○○荘の自宅には時々帰るという生活を送るようになったところ、ある時○○○荘に戻った際、娘松子が「ダンプのおじちゃんがお母ちゃんと一緒に風呂に入っていた。」などと言うのを耳にしたため、花子もまた自分のいない間に浮気をしているのではないかとの疑心を抱くようになり、更に同年四月中ころ、義理の母乙山梅子から「花子が奈良で飲食店を出すのに金を出してやろう、と言っている者がいるそうだが、そのことは知っているか。」などと尋ねられるに及んで、その疑惑を増増深め、これに当時進めていた不動産売買の仲介がうまく行っていなかったことも重なって苛立ちと不安の毎日を送るようになった。

しかして、被告人は、同年四月下旬ころから、右苛立つ気持ちを紛らすため、前記出所後時々使用していた覚せい剤を常用するようになったが、かえってその影響のため、花子に対する猜疑心は強まるばかりで、同女との浮気の相手として被告人宅に繁く出入りする甲田夏夫、乙田こと乙秋夫や被告人の仕事を手伝っていた丙田冬夫らに対しても疑いの目を向けるようになっていたが、同年五月四日ころ、丙川春子が花子と話し合って被告人との交際から身を引くこととなったため、被告人も同女との同棲生活をやめて○○○荘の自宅に戻ったものの、花子に対する疑心は一向に晴れず、夫婦仲は依然険悪なままの状態であり、そのうえそのころ、被告人は、精神的、肉体的な異常を覚えて外出を避けるようになり、一会の各種行事にも度々出席を怠るようになって、早晩同会から破門されることは避けられない状態となったことなどから、自己の将来について悲観的になり、それを思うと夜も中々寝つかれなくなり、同月一〇日ころからは、丙田冬夫に対し、「後のことは頼む。」などと言ったり、また同月一九日には、実母甲野竹子に「今まで親孝行したことがないので渡しておくわ。」などと言って二〇万円を手渡したり、丙川春子に架電し、「俺はもう長くはない。おまえにも世話になったが、これから幸福になってくれ。」などと言って自殺をほのめかすようになって、遂に同月二〇日午前三時ころ、○○○荘の自宅において、前途をはかなみ、あいくちで自己の手首を切りつけ自殺を図ったが、花子に制止されたため、これを果たせず、その後睡眠薬を服用してようやく就寝するに至った。

(罪となるべき事実)

被告人は、同年五月二〇日午後四時ころ、前記○○○荘二階ト号室の自宅において、眼をさましたところ、暫くして妻花子(当三七年)が丙川春子のことを口にしたことなどから夫婦喧嘩となり、口論するうち、ほとほとこのようなことで何度も同女といさかいを生じる自分が情なくなって、またもやあいくちで自己の右手首を切りつけて自殺を図ろうとしたものの、これまた同女に制止されたため、一旦その場は自殺することを思い止まったが、興奮を抑え切れず、右あいくちの鞘で同女の頭部を殴ったり、同女の腹部、臀部などを足蹴りにしたり、更には右あいくちで同女の頭髪を切断するなどの暴行を加えて同女の男関係などを厳しく追及し始め、同日午後六時三〇分ころから順次被告人を訪ねて来たり、また被告人に呼ばれたりして室にあがった甲田夏夫(当三八年)、丁田一郎(当二七年)、丙田冬夫(当四九年)らの面前でも、同女に対し、右同様の暴行を続けて白状を責め立てていたが、それでも同女が強く浮気を否定し続けるため、業を煮やし、同日午後一一時ころには、右丙田冬夫に命じてガソリン入りポリ容器(約二〇リットル入りのもの)を運び込ませたうえ、これを手に取って、同女の身体及室内にガソリンを散布し、「言え。言わなんだら火をつけるぞ。」などと言って脅し立てたが、なおも同女が頑強に浮気を否定するため、激昂のあまり、翌同月二一日午前零時五分ころ、このうえはいっそのこと同室に放火して、同女はもちろんのこと、その場にいる甲田夏夫、丁田一郎及び丙田冬夫もまきぞえにして殺害したうえ自殺しようと決意し、「火をつけてやる。俺も死ぬし、皆んなにも死んでもらう。」などと怒号して、所携のガスライターをガソリンのしみ込んだ同室床の絨毯に近づけて点火して放火し、ガソリンを引火爆発させ、よって現に人の住居に使用する○○○荘二階ト号室を全焼させて焼燬したうえ、右火災により花子及び丁田一郎をその場で窒息死させて殺害したが、甲田夏夫及び丙田冬夫は、逸速くその場から逃れたため、甲田夏夫に対しては全治約一か月を要する頭部、顔面、両四肢熱傷の傷害を、丙田冬夫に対しては全治約一か月を要する全身熱傷の傷害を、それぞれ負わせたにとどまり、殺害するに至らなかったものであるが、右犯行当時被告人は、覚せい剤の常用により精神障害を来たした結果、心神耗弱の状態にあったものである。

(証拠の標目)《省略》

(累犯前科)

被告人は、(1)昭和四四年五月二二日奈良地方裁判所で恐喝、同未遂、監禁致傷、暴力行為等処罰に関する法律違反の各罪により、懲役一年六月に処せられ(昭和四五年四月二三日確定)、昭和四六年一〇月二〇日右刑の執行を受け終わり、②昭和四五年一〇月七日同裁判所で恐喝、暴力行為等処罰に関する法律違反の各罪により、懲役一年六月に処せられ、昭和四八年三月一一日右刑の執行を受け終わったものであって、右事実は検察事務官作成の前科調書及び判決謄本三通(検甲第八七ないし第八九号)によってこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為中、現住建造物放火の点は刑法一〇八条に、甲野花子及び丁田一郎に対する殺人の点はいずれも同法一九九条に、甲田夏夫及び丙田冬夫に対する殺人未遂の点はいずれも同法二〇三条、一九九条に、それぞれ該当するところ、右は一個の行為で五個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により一罪として最も重い現住建造物放火罪の刑で処断することとし、所定刑中有期懲役刑を選択し、前記の前科があるので同法五六条一項、五七条により同法一四条の制限内で再犯の加重をし、右は心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役七年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一八〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人の本件犯行は覚せい剤の乱用による精神異常の状況下で行われたものであって、被告人は本件犯行当時心神喪失の状態にあったから無罪である、と主張するので以下この点につき判断する。

一  鑑定人中山宏太郎作成の鑑定書には「(一)被告人は犯行当時ヒロポン中毒症による迫害妄想、嫉妬妄想、自殺念慮及び自殺企図を来たしていた。(二)妻花子への攻撃は、主要に嫉妬妄想にもとづくものと考えられるが、迫害妄想、絶望と自殺念慮、激昂による抑制不能がそのエスカレーションに重要な役割りを果している。(三)ガソリン爆発には、自殺念慮、激昻による抑制不能が主要な役割をになっているが、一言にしていえば、失敗した拡大自殺である。」旨の記載があり、第九回公判調書中の証人中山宏太郎の供述部分には「一般論として被告人のような精神状態に陥った者には是非善悪の弁別能力はないと考える。」旨の記載がある。

また、鑑定人加藤伸勝作成の鑑定書には「一、被告人は犯行当時慢性覚醒剤中毒による精神病様状態にあった。二、犯行は精神異常状態下で行われたが、直接的動機は覚醒剤中毒による精神症状のみを基礎にしたものではなく、被告人の性格的脆弱性、特殊な環境などが複雑に関連してそれらの相互作用によって行われた。」旨の記載があり、第一三回公判調書中の証人加藤伸勝の供述部分には「一般的に被告人のような精神状態にあれば心神喪失ないしは耗弱の状態にあるといえる。被告人の場合には是非善悪の弁別能力及びこれに従い自分の行動を抑制する能力を欠いていたと考えられる。」旨の記載がある。

そして鑑定人長谷川源助作成の鑑定書にも右加藤鑑定書と同趣旨の記載があり、同人に対する当裁判所の証人尋問調書中には「被告人は本件犯行当時是非善悪の弁別能力がきわめて重大な障害を受けていた。」旨の記載がある。

以上の各鑑定書によると等しく被告人は本件犯行当時覚せい剤の乱用による精神病様状態にあったとされるところ、更に進んでその状態が心神喪失であるのか耗弱であるのかについては、各鑑定人とも明言を避けてはいるが、中山及び加藤鑑定人は、一般的に右のような精神病様状態にある者には弁別能力、抑制力はないと考えられていることから推して、被告人の場合も心神喪失の状態にあったことを示唆しているものと考えられる。

二  ところで、前記各証拠によると、被告人は、昭和二五年ころから覚せい剤の使用を始め、途中窃盗罪等により四回服役した期間を除き、ほぼその使用を累行していたものであるが、本件犯行前も昭和四八年一一月ころから途中の二か月余り(昭和四九年二月中ころから同年四月末ころまでの間)を除き覚せい剤を反復使用し、それに伴って昭和四九年四月末ころから「家に隠しマイクがしてある。」「天井裏に誰か隠れている。」「誰かにつけられている。」などと言って自宅天井裏を捜させ、同所に備え付けの火災報知器を隠しマイクだと言って取りはずさせたり、自動車に乗ると誰かに尾行されているのではないかと警戒し、行く道を指示してくるくると回らせたり、更には車のライトを見ても「誰が来たんや。」などと言って怯えたりするなどの異常な言動を示すようになり、こうした異常体験に非常な恐怖、不安感を覚える一方、同年二月ころ、娘松子が「ダンプのおじちゃんがお母ちゃんと一緒に風呂に入っていた。」と言うのを耳にしたことなどから次第に妻花子が浮気しているのではないかとの疑心を抱き、これが高じて同女の浮気の相手として丙田冬夫、乙秋夫、特に「ダンプのおじちゃん」とは砂利採取業を営む甲田夏夫に違いないと確信し、同人らにその疑いの目を向け、それとなく同女との浮気を認めさせようとするなどの言動をみせるに至り、本件犯行数日前には自殺をほのめかすようになっていたこと、そして本件当日(昭和四九年五月二〇日)にも、自殺を企図したり人が隠れていると言って、丁田一郎に自宅天井裏を捜索させていることなどが認められるところ、かかる被告人の異常な言動と、また前記認定の本件犯行の態様、状況にも幾分常軌を逸した面が窺われないではないことなどに照らして考えると、前記各鑑定人の指摘するとおり、被告人が、本件犯行当時、慢性覚せい剤中毒により妄想等にとらわれ、精神障害を来たしていたことは認めざるを得ない。けれども、右のような精神状態に陥ったとしてもその症状の程度には軽重の差が当然あってしかるべきものと考えられること、また一般に覚せい剤中毒者の妄想、幻覚という病的体験は普通の精神分裂病のようにその者の人格全体を支配せず、精神分裂病と思わせるような病状を有しながらなお疎通性を保持していたり、通常の生活活動をしていたりするとされていることなどにかんがみると、右のような精神状態下において犯行がなされたことを以て直ちに心神喪失中の行為であるとは解されないのであり、後述するとおり、本件犯行前後の状況、犯行の態様、またそれらから看取されるところの被告人の精神症状の程度、性格的な行動傾向などを検討すると、被告人が本件犯行当時心神喪失の状態にあったものとは考えられない。

三  すなわち、前記各証拠によると、次の各事情が認められる。

(1)  被告人は、前記妄想にとらわれるようになってからも知人である乙秋夫の借金問題に仲介の労をとったりするなど日常生活を送る上で格別の障害はなく、日頃被告人と交際していた同人らにおいても、前記妄想にもとづくと考えられる言動を除いた被告人の言動については事の筋道も通っており、特に異常を感じたと思われるふしが見受けられないこと、更には昭和四九年二月中ころから五月初めころにかけて被告人と同棲していた丙川春子が前記妄想に対応する言動を格別見聞していないこと、また被告人自身覚せい剤の常用による肉体的、精神的異常を自覚し治療のため何度か入院することを試みたりしていることなどが認められるところ、かかることからすると、被告人が犯行前において精神障害を来たしていたことは疑いがないが、常時その影響を受けていたものとは認められず、むしろ妄想などの異常体験にとらわれながらも、ある程度社会性を保ち、人格を保っていたものと認められる。

(2)  また被告人は、判示のとおり本件当日(昭和四九年五月二〇日)午後四時ころ目ざめてから、まず、自己の手首をあいくちで切りつけて自殺を図ろうとし、次いで妻花子に対し、執拗、残忍な暴行を加え、それでも強く浮気を否定する同女の態度に激昂し、本件犯行に及んでおり、この間の状況、特に花子に対する暴行行為には、いささか常軌を逸したものがあることは否定できないが、それとて旧来そのような所為に出たことが全くない者が突如及んだ場合であるならば格別、被告人のように長年にわたる暴力団員としての経歴を有し、粗暴犯の前科を重ね、更には後記のような異常生活を持ち合わせた者が及んだ場合であってみれば、全く了解不能な異常な行動とも認め難い(事実被告人自身も公判廷において、花子の頭髪を切断したのは、暴力団員が指をつめるのと同じく、いわゆるけじめをつけさせるためであった旨供述し、それが暴力団的な発想に基く行動であることを認めている。)。しかも、右の間、被告人は、時に興奮して同女に暴行を加えるかと思えば、他方において、喫煙したり、飲料水を取り出させて飲んだり、また丙田冬夫に対し汗をかいたと言って風呂に入る準備を命じたり、更には乙秋夫に対し自殺を図って生じた手掌の傷を治療するため薬を買いに走らせたりなどしているうえ、花子との不義を邪推していた甲田夏夫、丙田冬夫らに対しては、花子に対するのと異なり、浮気を白状させようとして責め立てたり、暴行に及んだりすることが全くなかったこと、むしろ同人らからも同女との浮気を明らかにしたいとの気持ちがあったにもかかわらず、直接そのことを同人らに対し口に出せないでいたことが認められるのであって、かかる事実に照らすと、当時被告人がある程度の分別と冷静さを保っていたことを十分に窺うことができるばかりでなく、被告人にみられる嫉妬妄想(なお、被告人が花子の浮気を邪推するについては、前記認定のとおり理由のないことではないし、更にそのような状況下で、同女の浮気の相手として自分の身近にいる知人らに疑いの目を向けるということについては、通常人においても十分あり得ることであって、これらを嫉妬妄想に基づくものと断ずるには、疑問の余地がないわけではないが、仮にこれらが嫉妬妄想に基づくものであったとしても)もそれ程重いものであったとは思われないし、右妄想にもかかわらず、狭い範囲においてではあるが、自己の行為を抑制する力が残存していたものと認めうる。加えて、被告人は、一旦決意した自殺を二度にわたって花子に制止され、その都度簡単に思い止まっていることに照らすと、被告人が当時強い自殺念慮にとらわれていたことが認められるにしても、その程度の抑制力はあったものと認めるのが相当である。

(3)  また、本件犯行直後の被告人の言動をみても、被告人は○○○荘の家主である乙野二郎方に現われ、「外に出たら殺される。」などと口走っていたことなどが認められるが、他方、丙田冬夫らに対し「おい逃げよう。」などと言い、更には犯行現場に駆けつけた警察官に対し、「この火事はわしの責任だから○○署に連れて行ってくれ。」などと申告していることも認められ、このことは、被告人において当時ある程度の規範意識が存し、それが働いたとみられる有力な証左ということができる。

(4)  ところで、一般に慢性覚せい剤中毒による異常精神状態が犯罪に結びつくことは少なく、むしろ中毒者のもともとの性格的な犯罪傾向がより深く犯罪と関係するとされている(加藤鑑定書二二頁参照)ところ、被告人は、自制心に乏しく、容易に利己的、暴力的行為に出て、それも不適切な環境の下では異常な犯罪を惹起する可能性のある性格異常者であることが認められる(前記各鑑定書参照)うえ、これまでにも度々暴力行為等処罰に関する法律、監禁致傷罪、恐喝罪などに触れる粗暴な所為に出て受刑服役していること、また、本件犯行の態様にも右被告人の性格的な行動傾向に極めて合致するものがあることなどに照らすと、本件犯行の場合もまた慢性覚せい剤中毒による異常精神状態にのみ起因し惹起されたものとは解されず、その基礎に被告人の異常性格が深く関係している面があることは否定できないものと認められる。

四  以上の諸事情によると、被告人の本件犯行は、覚せい剤の影響による嫉妬妄想、自殺念慮などに端を発しているとはいえ、被告人がそれらによって完全に支配され衝動的に本件犯行に及んだということはできず、被告人は、本件犯行当時是非善悪を弁別し、これに従って行動する能力を全く欠いた状態にあったものではなく、これら能力が著しく減退した状態、すなわち、心神耗弱の状態にあったと認めるのが相当である。よって弁護人の右主張は採用しない。

(量刑の理由)

本件犯行は、判示のとおり、自己の将来に悲観的となっていた被告人が、妻花子の浮気を邪推してそれを追及するうち興奮のあまり、同女のみならずその場にいる知人ら三名をまきぞえに殺害したうえ自殺しようと企て、自室に放火したという事案であるところ、その犯行の態様、とくに直前までの花子に対する暴行行為はまことに執拗、残忍なものであるうえ、犯行の結果も、右放火により自室のみならず○○○荘の殆んどを全焼し、何ら関係のない多くの人々を罹災させ甚大な精神的、財的産損害を与えているだけでなく、何よりも尊い二個の人命を失わせ、また二名には熱傷による重症の傷害を負わせているのであって、その凄絶悲惨さには目を覆うばかりであるのに、被告人は、今に至るまで、右被害者及びその遺族らに対し殆んど慰謝を尽くしていないこと(一部被害弁償はなされているが、それとて決して十分な額とは言い難い。)、また、被告人は、これまでに前科一五犯を重ねているうえに、今また本件のような重大犯罪を、しかも前記前科による服役出所後一年足らずで惹起していること等にかんがみると、被告人の刑責は極めて重大であるといわねばならないが、被告人は犯行当時覚せい剤の中毒により心神耗弱の状態にあったこと、現在では本件を深く反省し、自己が危めた故人の冥福を祈って朝夕読経し勤行していること等の被告人に有利な事情も認められるので、これらを斟酌して、被告人に対しては、主文掲記の刑に止めた次第である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村上保之助 裁判官 楠井勝也 水谷博之)

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